Art Spot かくあむ  山内 豊 ギャラリー 本文へジャンプ

プロフィール

1949 香川県牟礼町に生まれる
1973 習字塾を開き、現在に至る
1984 橋本 治氏の“男の編み物”に出会い、独学で始める
1985 G.クリムトの「ユーディットⅡ」をニットで模写、ニットによる絵の始まり
1992 高松市美術館市民ギャラリーで初個展「未到処(いまだいたらざるところ)
1993 ふくやま絵画プロジェクト「備後を描こう」に、ニットの「福山城」が入選
1994 高松市セントラルギャラリーで第2回個展「四季―移りゆくすべてに」
'94~'95 「毛糸だま」(日本ヴォーグ社)のサロン・ド・トリコに応募
連続7回入選、うち特選1回
1995 テレビ東京系“TVチャンピオン第2回男子手芸編物選手権”に出場
高松市ギャラリーIWABUで第3回個展「墨と毛糸」
「テディベアのセーターブック」(日本ヴォーグ社)にオリジナルセーター所収
1996 高松市ギャラリーIWABUで第4回個展「空と海のあいだ」
1997 高松市ギャラリーIWABUで第5回個展「とうさんしまうた」、これより居住する瀬戸内にこだわるようになり、書も自作詩や句となる
1998 東京都千疋屋ギャラリーで、第6回個展「瀬戸内逍遥」
「毛糸だま」夏号や「染織α」7月号で小特集が組まれる
'98~'99 「女性のひろば」で“ニットによる子ども”を連載
1999 高松市ギャラリーIWABUで第7回個展「小さきものに」
2000 高松市ギャラリーIWABUで第8回個展「記憶のよすが」
2001 高松市ギャラリーIWABUで第9回個展「イノチノイノリニ」
「女性のひろば」12月号にエッセー「冬の編み物」掲載
2002 高松市ギャラリーIWABUで第10回個展「書く・編む私の日本国憲法」
第22回「平和のための京都の戦争展」で前文、第9条タペストリーを展示
2003 「文化たかまつ」新春号にエッセイ「書家の奇妙な趣味」掲載
高松市ギャラリーIWABUで第11回個展「書く・編む私の日本国憲法PARTⅡ
他人事(ひとごと)」
2004 「女性のひろば」2月号にピースマフラーの制作・文掲載
高松市ギャラリーIWABUで第12回個展「子どもたちは未来―」
四季のフォトコンテスト2004「腕だめし部門」で編みぐるみの「シロクマ上陸」が入選
2005 立命館大学国際平和ミュージアムに第9条タペストリーを寄贈
4月より同館リニューアル・オープンにともない、同タペストリー常設展示
高松市ギャラリーIWABUで第13回個展「一木一草」 これより書と絵を一枚に編み込んだ作品を「詩画ニット」と名付ける
2006 京都市ギャラリー翔で第14回個展「火と水の対話」
弘憲寺客殿で般若心経タペストリー他の展示
六萬寺客殿で般若心経タペストリー、詩画ニットの展示
2007 「女性のひろば」2月号で広瀬光治氏と対談
高松市岩部呉服店2階で第15回個展「風にことづて」
徳成寺本堂で正信偈(しょうしんげ)タペストリー他の展示
2008 高松市牟礼町の生まれ育った家で「Art Spot かくあむ」を開く
「Art Spot かくあむ」で特別展「二十回忌・美空ひばりをしのぶ」
第6回国際平和博物館会議に参加、分科会で「Art Spot かくあむ」について発表
「九条・英語版」タペストリーの展示
広島県庄原市の「東城まちなみぶらり散歩ギャラリー」で般若心経タペストリーの展示
2009 「9条・ハングル版」タペストリーが完成、展示
2010 松井久子監督第3作『レオニー』の題字「Leonie」を揮ごう
2010年11月20日ロードショー
 
2010年は「韓国併合百年」という負の年 日韓友好の小さな架け橋となるため、「あたりまえの平和展」を年末まで開く 「憲法九条ハングル版」タペストリー、「夜空を仰ぐヒト―尹東柱」、「痛恨の極みとなってもこの生き方」他を展示
 2011 治安維持法によって命を奪われた小林多喜二と尹東柱を描いた「星ふたつ」をタペストリーに 中の句は「放たれし思いの丈(たけ)か星ひとつ(ピョル・ハナ)」
 
  「創氏改名に抗して身を投げたヒト―ソル・ジンヨン」で、辞世の詩をタペストリーに  
   「日本と韓国の和解と共存」を願い、「有無=유무 」を制作
2011年もまた日韓友好の小さな架け橋となるため、作品の制作と展示を続ける
 
   岩手県陸前高田市に8月、励ましの気持ちをこめて「どっこい生きてる・希望の松」を寄贈
 2012  従軍慰安婦問題をテーマに、「血ぬりし過去を明日につなぐは謝罪と賠償」を
制作
   福島県双葉郡浪江町で、被曝した牛を育てる「希望の牧場」に8月、励ましの気持ちをこめて「どっこい生きてる・希望の牧場」を寄贈
 2013  「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島のある岩手県大槌町、その島の灯台が昨年再興された
3月、励ましの気持ちをこめて「どっこい生きてる・希望の灯」を寄贈
ただ、受け入れ側の事情も考慮しなければならないことを痛感
     
   「日本と韓国の和解と共存」を願う第二作「安寧=안녕」を制作
   宮城県南三陸町はモアイでチリと姉妹都市となっている そのモアイが津波で流された 高松市の沖にある女木島(めぎじま)にはモアイのレプリカが建っている かつて倒れたままになっていたモアイを起こそうと高松のクレーン会社「タダノ」が、現地へ行く前に練習に用いたもの そのモアイで南三陸町の皆さんに励ましの気持ちをこめて「どっこい生きてる・希望の像」を制作 志津川高校に5月寄贈
 
 高齢者のための「ゆびあみ」講座を6月に開き、教授
  2014   日韓友好三部作の三作目「幸福=행복」を制作  
     マイ・エンディング・ピクチュアズ三部作
 Ⅰ「アローン・アゲイン」
   万多悲止利尓奈徒天雪末路个
   (またひとりになってゆきまろげ)
 
     Ⅱ「レフト・アローン」
   風布万登不時奈起東支者
  (かざふまとふときなきときは)
     Ⅲ「オール・アローン」
   年々歳々寂兮寥兮
   (ねんねんさいさいせきけいりょうけい)
 
     松井久子監督第4作「何を怖れる」の題字を揮ごう
 2015 思い起こせば、1992年の初個展「未到処展」のテーマは私のお気に入りの人びと、作品でした これまでいろんなテーマを掲げてやって来ましたが、2015年1月から、「あなたにつつまれて」シリーズを開始 私のお気に入りの人びと、作品を身にまとい、それらにつつまれる幸せにひたるプロジェクトです
使用する毛糸は極太、並太、中細、極細で、細い糸は3本、4本取り 棒針は10号と7号 どうして中細で額装の作品にしないのかというと、「現在まで私の元に送られてきた毛糸の山を使い切るにはこの方法しかない」という結論に到ったからです
 
 
  1月 仏映画「美しきセルジュ」ベスト
クロード・シャブロル監督、ジェラール・ブラン主演 1958年作
「ヌーヴェル・ヴァーグから40年・・・いま、甦る幻の名作」チラシより
    オノ・ナツメ COMICS「GENTE(ジェンテ)」セーター
2.「ルチアーノ」のフランチ 2006年作より
  2月 仏映画「トリコロール赤の愛」セーター
クシシュトフ・キェシロフスキ監督、イレーヌ・ジャコブ主演 1994年作より
    東 君平(ひがしくんぺい)「おかあさんがいっぱい」ベスト
「スイカーつかさくんのおかあさん」 1981年作より
  3月 えすとえむ COMICS「equus」セーター
Bay Silver 2のケンタウロス 2011年作より
    オノ・ナツメ COMICS「逃げる男」セーター
逃げる男5、焚き火にあたる男 2011年作より
  4月 緒形拳セーター
肖像は「風のガーデン」(2008年10月9日から11回放送)より
「拳」は自筆の書より
    高倉健セーター
映画「ホタル」 2001年作より
「반딧불」はハングルでホタルの意
  5月  菅原文太セーター
NHK「日本人は何を考えてきたのか 第2回自由民権東北で始まる」 12月14日アンコール放送を紹介する塩田純氏の記事(2014年12月14日しんぶん赤旗)より
「自由民権」の書はNHKスタッフに寄せた自筆の書より
 
    仏映画「バルタザールどこへ行く」ベスト
ロベール・ブレッソン監督 バルタザールはロバの名前
1966年作より
    こうの史代 COMICS「この世界の片隅に」セーター
2009年作の「下巻」より
「この世界で 普通で まともで居ってくれ
   それが出来んようなら忘れてくれ」
  6月 森雅之第二作品集「散歩しながらうたう唄」所収のCOMICS
「ケー」セーター 1983年作より
  7月 ソ連映画「僕の村は戦場だった」セーター
アンドレイ・タルコフスキー監督 コーリヤ・ブルリヤーエフ主演
1962年作より
    オノ・ナツメ COMICS「not simple」ベスト 
イアン 2006年作より
  8月 マリア・シュナイダーのベスト
「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)「さすらいの二人」(1974)「危険なめぐり逢い」(1976)と流れていった慧星のポートレートより
    仏映画「ぼくの伯父さん」のベスト
ジャック・タチ主演・監督 1958年の作より

  9月 メキシコの映画監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのセーター 「アモーレス・ぺロス」(1999)「11'09"01」(02)「21g」(03)「バベル」(07)「ビューティフル」('10)「バードマン あるいは(無知のもたらす予期せぬ奇跡)」('14)・・・・人びとの生きる現実の軌みを、それぞれの視点ですくい取る――その力業(わざ)からくり出されるカラフルな闇!
  10月 英映画「リトル・ダンサー」のセーター
スティーヴン・ダルドリー監督 ジェイミー・ベル主演
心踊る2000年の作より
  映画監督市川準のセーター
背にはわが市川作品ベスト3の「トキワ荘の青春」(96)
「ご挨拶・第2話佳世さん」(91)「トニー滝谷」(05)を配し、袖には監督の好きだった雲を入れた
  11月 米映画「チャンス」のベスト
ハル・アシュビー監督 ピーター・セラーズ主演
無知で無欲なただの庭師チャンスの、地上何センチか浮いたストーリー ヒューマン・コメディこれぞ一本の 1979年の作より
    米映画「ストレイト・ストーリー」のセーター
デイヴィッド・リンチ監督、リチャード・ファーンズワース主演
10年来仲違いをしていた兄が病に倒れたと聞き、73歳の男が時速8kmのトラクターで、560kmを6週間旅をする
79歳のファーンズワースはこの翌年に永眠 1999年の作より

  12月  カナダの俳優・監督グザヴィエ・ドランのベスト
1989年生まれの若き才能は、「マイ・マザー」(09)「胸騒ぎの恋人」(10)「わたしはロランス」(12)「トム・アット・ザ・ファーム」(13)「エレファント・ソング」(14)と快進撃のまっただ中にある
これで1月から始めたシリーズ「あなたにつつまれて」は1期を終了した 月2枚のペースは少々崩れたが、ま、そういうものだ 編みたい題材と毛糸の山はまだまだ尽きないので、2016年より第2期に入ります  
  2016 1月 米映画「イントゥ・ザ・ワイルド」のセーター
ショーン・ペン監督、エミール・ハーシュ主演
大学卒業後、その恵まれた境遇を一切棄て、アラスカを目指し、24歳で命の果てた実話の映画化 自己の居場所を荒野に求め歩いた青年を、ハーシュもペンも追体験している 2007年の作より
    加藤亮のセーター
若き演技の多面体―加藤亮、今度はどんな姿を見せてくれるんだろうという喜びがある ガス・ヴァン・サント監督「永遠の僕たち」(11)原恵一監督「はじまりのみち」(13) ホン・サンス監督「自由が丘で」(14)が現時点でのベスト3
  2月 米映画「スローターハウス5」のベスト
カート・ヴォネガットの原作(69)をジョージ・ロイ・ヒルによって映画化(73) 2人とも亡くなったが未だ映画は見ていない ヴォネガットの本も探してみたら「母なる夜」と「国のない男」しか残っていない So it goes(そういうものだ)後ろの絵はヴォネガット筆の自画像による
 
    米映画「いつか見た青い空」のベスト
エリザベス・ハートマンのデビュー作 盲目のはかなくもタフな女性を演じた ジェリー・ゴールドスミスの音楽が時どき私をよぎる
「ウォーキング・トール」(73)まで6作に出演したが87年に自裁した
それまでの14年間を時どき考えるのである
  3月 茨木のり子のセーター
詩集「自分の感受性くらい」(77)より「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」を後ろに 50歳を過ぎてハングルを習い韓国の詩も翻訳 尹東柱の素晴らしさも茨木さんが教えてくれた 06年に亡くなられた 
    石原裕次郎のサマー・ニット
まさか私が裕次郎を編むとは思わなかった 自分でも驚いている 石原まき子「裕さん、抱きしめたい」、石原慎太郎「弟」、村松友視「裕さんの女房」と昨年たて続けに読んで、裕次郎が受けた喝采を超えるほどのケガ、病の大きさを知った すると孤独な不良少年の輝きを、サマーニットにとどめたいと思ったのである 今年7月17日は30回忌である
  4月 モニカ・ヴィッティのサマー・ニット
わが17歳のミューズであったモニカ・ヴィッティの「赤い砂漠」が高松でも上映された時、18歳未満はダメというテケツのおばさんに喰い下がって見ることのできた喜びよ アントニオーニの「愛の不毛」3部作の1つだが、今見ると彼女はこの世の違和におびえ、自分の居場所を探していただけに見える 物理の授業時、私はM・ヴィッティの似顔絵ばかりノートの隅に描いていた そらで描けたのだ
5月 仏映画「まぼろしの市街戦」のセーター
フィリップ・ド・ブロカ監督にはヒューマン・コメディの傑作として この映画(67)と「君に愛の月影を」(69)がある
 戦争に従軍した一兵卒が、自由な精神病患者たちの世界を知るにつけ、狂っているのは人を殺すのが日常のこの世界だと、鳥かご1つ持って、軍服を脱いだ裸で病院の前に立つラスト!
もうこの映画を見るのは叶わないのだろうか、と書いて3年余り、レンタル店でDVDを発見 返却まで2度見た やはり傑作! ただ約50年前に見たのとラストが違っていた 私は以前見たときの方が良かったと思う
また叶うなら「君に愛の月影を」の上映を望みたい
  6月 コリン・ファレルのセーター
マイケル・カニンガムの小説「世界の果ての家}の映画化した作品をレンタル店で発見 「イノセント・ラブ」(04)劇場未公開 みなし児となった青年役のコリン・ファレルが素晴らしかった てっきり新人だと思っていたらキャリアを積んでいた その後十数本見たが才能あるアイルランド人であることがわかった ケルトの紋様で囲んで彼を賛える
  ダーク・ボカードのベスト
「召使」(63・ジョセフ・ロージー)「ベニスに死す」(71・ルキノ・ヴィスコンティ)「愛の嵐」(73・リリアナ・カヴァーニ)が彼のベスト3だろう 内向的で思索的な人と思いきや「レターズ・ミセスXとの友情」を読むと、案外「唇からナイフ」(65・J・ロージー)の間抜けで気取り屋の悪ボス役のように活発で驚く
  7月  フェイ・ダナウェイのロング・ベスト
忘れ去られたおさな子のようなボニーを演じた「俺たちに明日はない」(67・アーサー・ペン) 父との関係を築けぬまま“妹”を育てる謎の女を演じた「チャイナタウン」(74・ロマン・ポランスキー) フェイ・ダナウェイは私にとって「かなわんなあ」と思わせる猛女であるが、この猛女にぴったり貼り付いている孤独に私はまいるのである
  8月  マイケル・J・フォックスのサマー・ニット
ブライアン・デ・パルマ監督の見落とした映画で「カジュアリティーズ」を見て、マイケルを見直した 「ラッキーマン」を読んでパーキンソン病について学んだ 彼はカナダ人だということも初めて知った 前身頃は声を担当したリトル家のスチュアートを
      谷内こうたの絵本「のらいぬ」のサマー・ニット
夏の暑い日の、犬が見た白日夢 友だちを見つけた喜びと失った悲しみ また一人になってしまった黒犬の孤独は、20代の私には近しいものだった
  9月   サラ・ポーリーとジュリー・クリスティの半袖セーター
サラ・ポーリーもカナダ人 「あなたになら言える秘密のこと」で初めて知った 他の誰をも拒否する理由と、彼女に接近していくティム・ロビンスの関係が好ましかった そんな彼女の監督作「アウェイ・フロム・ハー君を想う」で久しぶりにジュリー・クリスティにめぐり会った アルツハイマーの初老の女性を魅力的に演じていた 20代半ばでこんな映画を作れるサラ・ポーリーに脱帽
      「裁かるるジャンヌ」の半袖セーター
カール・ドライヤー監督のサイレント映画(1927) やっと2016年になって友人から借りたDVDで見た ジャンヌ・ダルク役の感情の動き、裁く側の俗物性や同情 字幕とのリズム 上映時間は86分 この長さで人間の深淵に降りることができたのである
その重厚さを 小さなTシャツに閉じこめるように編んだ
  10月   ロバート・アルトマンのセーター
反ハリウッドの巨人、ロバート・アルトマン監督 しかし、反権威、悪ふざけだけの人ではなく、その神経は実に細やかである 人は自分の好きなように生きればいい――彼の映画を見るたびにそう思う 好きな映画と出演者を後ろと両袖に配した
  11月  シシー・スペイセクのベスト
なんといっても「キャリー」の人である ブライアン・デ・パルマ監督は「人生は悪夢に似ている」を映画でやっている人である シシー・スペイセクは無防備な人間が無力でないことを「キャリー」で示した 年齢を重ねても、いつまでも少女の部分を持ちあわせている ちなみに彼女は私と同い年である
     「カポーティ」のベスト
何度見ても眠ってしまう映画がある かつては「去年マリエンバートで」がそうだった 最近は「カポーティ」がそれ 劇場で眠り、DVDを借りてきては眠り、やっと3度目で出合い その素晴らしさに酔った カポーティのかけひき、不安があぶり出されていた 監督のベネット・ミラーは「マネーボール」も「フォックスキャッチャー」にも唸った 今後がたのしみである
  12月   「ミンヨン 倍音の法則」のセーター
悲しみ、苦しみを越えて、人は混じりあい歓びの歌をうたう 佐々木昭一郎監督2014年の到達 ユンヨンの夢でモーツルトが言った「倍音はマル どこで切ってもつながるマル」がこの映画のすべてだ モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」を聴きつつ編んだ
     ジェット・リーのセーター
ジェット・リーの眼は美しい 小柄で力みのない立ち姿も美しい 有名なカンフー時代を私は知らず、「ダニー・ザ・ドッグ」(05)で殺人犬から人間性を取り戻す青年役で出合った モーツァルトのピアノ協奏曲第11番を聴いて母を追慕するラストの涙が美しかった 「海洋天堂」(10)ではガンで余命いくばくもない父が、遺される自閉症の息子を案じる役を、ノー・アクションで演じた 今後も時にはこんな映画に出てほしいと思う
  2017 1月  仏映画「海の沈黙」の半袖セーター
ジャン・ピェール・メルヴィル監督の長編処女作(47) 伯父と姪の住まいに独軍の将校が宿泊先としてやって来る 将校は夕食後、独白のように2人の前でフランス文化の素晴らしさを呟き続ける それを2人は毎夜無視し続ける そんな己を伯父は「恥知らず」と断罪する 姪はせっせと編み物をし、ショールに刺しゅうをし続ける 仏人と独人は対話はないが互いを受け入れているのがわかる 姪が完成したショールを肩からかけると互いに手を差しのべている図案が浮かび上がる この映画の崇高さ、美しさ!
姪役のニコール・ステファーヌのギリシャ彫刻の如き美しさ 画面をストップしてクローズ・アップの眼をスケッチした アンリ・ドカのカメラの見事なこと レンタル店ではアクション映画の棚にあった ん?


     レナード・コーエンのベスト
私の場合は彼との出合いは小説「嘆きの壁」(70) 歌との出合いはR・アルトマン監督「ギャンブラー」に使われた「電線の鳥」 その夜のしじまを流れたゆたう孤独の響きにたちまちとりこになった 5枚のLPと1冊の本が遺った 今では聴けやしないレコードの帯と本の帯に描かれた絵を後ろに 前は中年の頃のポートレートより 昨年11月82歳で死去 彼もコスモポリタンのカナダ人であった
  2月  ピア・デゲルマルクの半袖セーター
「みじかくも美しく燃え」(ボー・ウィデルベルイ監督・68)「鏡の国の戦争」(69)「さよならを言わないで」(70)の3本を残して映画界から消えたスウェーデン女性 「みじかくも美しく燃え」1本きりしか彼女を見ていないが、恋の逃避行中に、木と木の間にロープを渡して綱渡りをしたり、食糧がなくなり草を食べてもどしたり、もちろんラストの蝶を追う姿と銃声などいまだに蘇えってくる 美しい映像とモーツァルトの調べ また見たい
 
      パトリシア・ゴッジの半袖セーター
「シベールの月曜日(セルジュ・ブールギニョン監督・62)の少女である 戦争の後遺症に苦しむ青年と孤児院に預けられた少女との、日曜ごとの密会を描く カメラはアンリ・ドカ 美しいモノクロの映像 寒さいや増す氷った湖面を滑る石の音 そして2人の逢う瀬が誤解を生みやがて訪れる悲劇 ブールギニョンもハーディ・クリューガーもP・ゴッジもこの後これを超える映画を撮ることはなかった それくらいこのタッグは神かがりである
  3月  リタ・トゥシンハムのベスト
60年半ばまでR・トゥシンハムの役柄はいつも「みにくいアヒルの子」だった 哀れな境遇をけなげに生きる少女は「蜜の味」(トニー・リチャードソン監督・61)「廃墟の欲望」(ベイジル・ディアデン監督・63)「みどりの瞳」(デスモンド・デイビス監督・64)で見ることができる 大きな瞳と大きな口のファニー・フェイスも忘れられない 日本人が最も着ない色、緑色で編んだ
     公益財団法人日本財団募集の、ハンセン病の元患者との交流を綴った随筆「風に舞う」が佳作に 「ふれあい文芸・平成29年版」に掲載 
  4月  キネマ旬報「読者の映画評」への投稿を、2014年より再開
「ペコロスの母に会いに行く」(第1次通過) 「トム・アット・ザ・ファーム」(14年公開のところを16年に出し、没) 「この世界の片隅に」が1973年以来44年ぶりに掲載さる
     ジョアンナ・シムカスのセーター
なんといっても「冒険者たち」(67年・ロベール・アンリコ監督)の人 青春期の自由と痛み 海底に葬られるレティシアは今も眼に灼きついている てっきりフランス人だと思っていたが、今回カナダ出身と知った
     豆太のサマー・ニット
古書店で、帯にオノ・ナツメとこうの史代両氏の推せん文が載っていて、すぐに購入した「コーヒーもう一杯」ⅠとⅡ 作者は山川直人 今どき手描きの感触で埋めつくされた悕有なCOMICS いつまでも眺めていたい線描で、取り上げたのは「恋する喫茶店」の豆太 実に愛らしいのである
  5月  ロック・ハドソンのサマー・ニット
このシリーズ50作目 なぜロック・ハドソンなのか、理由はない 85年にエイズで亡くなったのは衝撃だった 評伝を読んだが、今本は手許にない 森田童子のアルバム「GOOD BYE」の中に「センチメンタル通り」があって、“今夜は久しぶりに 君とロックハドソンのジャイアンツでも しみじみ見たい気持ちだネ”を頭の中で口ずさみ、「ジャイアンツ」を借りて来た 40数年ぶりに見るとJ・ディーンの怪演は苦笑と共に遠のき、R・ハドソンのオーソドックス演技に頷き、エリザベス・テーラーの進歩的女性の輝きにクラクラした そしてジョージ・スティーヴンスの粘り強い演出に脱帽し、続けて「陽のあたる場所」を見た 
R・ハドソンは、タフガイ、洗練されたレディ・キラーを主な役どころとしたが、異質な作品が「セコンド」(66年・ジョン・フランケンハイマー監督)である ある時点で全て別の人間になり変わる男の話で、ガラガラの丸の内松竹だったかで見たのが憶い出される1970年 2019年1月「ロック、ハドソンわが人生を語る」を入手 一度読んでいるのに全く覚えていないことに愕然とした



  6月  渥美清のサマー・ニット
8月4日は22回忌 若い時に肺を病み、世の中のすきまに己れの居場所を見出そうと必死だった渥美さん ようやく結実したのが寅さんだった 晩年の渥美清に焦点を当てた本を何冊か読んだが、どれも体力の闘いが悲痛だ 「男はつらいよ」の47作目と48作目とでは体調の差に驚く 結局渥美清は尾崎放哉も種田山頭火も演れずに逝った さぞかし無念だろう
後身頃「泣いてたまるか」の「ある無名戦士!」は「ああ無名戦士!」のまちがい 作画の段階で誤り、完成近くに気づいた 早坂氏に深謝



  7月  エリザベス・テーラーのセーター
私がリアル・タイムでE・テーラーを見たのは「バージニア・ウルフなんかこわくない」(66年・マイク・ニコルズ監督)で、初老の教授夫人を熱演していた 「美貌のスタア」ではなかった 今年「ジャイアンツ」「陽のあたる場所」を見て、その輝きに圧倒された その美しさの前に言葉は無力ばかりなり



  8月  エディ・マーサンのベスト
「おみおくりの作法」(2013年・ウベルト・パゾリーニ監督)を見るまでE・マーサンを知らなかった、というのは正確ではない 「21グラム」(03)「あなたになら言える秘密のこと」(05)「マイアミ・バイス」(06)「幻影師アイゼンハイム」(06)「ロンドン・ブルバード」(10)と見ていたのだが、覚えていない
「おみおくりの作法」の、「人生は続き、そして終わる」の恬淡に惚れ惚れした その後「アリス・クリードの失踪」(09)をレンタルしてきたら、あまりの兇暴犯ぶりに驚いた 役者である
   マーク・ラファロの半袖セーター
この人はいつの間にか表舞台に立っていた、という感じ 「フォックス・キャッチャー」(11年・ベネット・ミラー監督)の、レスリングの才能と人望を兼ね備えた兄の役が素晴らしかった それ故オーナーのジェラシーを買い、銃弾に倒れる説得力!「スポットライト世紀のスクープ(15年・トムマッカーシー監督)の、教会の闇を暴く記者も良かった もっと齢をとって、立ってるだけで憂愁を感じさせる俳優になってもらいたいものである
 

  9月  映画「白いリボン」のセーター
ミヒャエル・ハネケ監督(2009年)の作品 ハネケの視線には虫酸の走ることがある この映画は第1次世界大戦前のドイツの小さな村を舞台にして、大人と社会の欺まんに抗がう少年を描く 反抗する者には腕に白いリボンが巻かれ、見せしめとされる ただ、この抗がった少年たちは、長じてナチス帝国を築いたのだと思うと、ラスト・シーンに解放感はない ハネケは苦い苦い味を観客に提供する


  10月  シャーロット・ランプリングのニット
70歳となっても主役がやれる稀有の女優である 私がおそれる女優の一人だ 古くは「愛の嵐」(1973年)でナチスに囚われた女性、新しくは「さざなみ」(2015年)の夫婦の45周年の祝賀会で、夫の不実をやはり許さず、ラストで一瞬のうちに観る者に冷水を浴びせかけるアクション!この人は死ぬまで女を降りない
  11月  永瀬正敏のニット
若い若いと思っていた永瀬君も、もう五十歳を越しているんだなあ 永瀬正敏には2つの流れがある オーソドックスな演出に染まった演技と、今まで誰も見たことのない映画作りを目指した、歌舞(かぶ)く演技 前者は「息子」「学校Ⅱ」そして「隠し剣鬼の爪」で、後者はジム・ジャームッシュ、F.T.フリドリクソン、ハル・ハートリー監督作品や、私立探偵濱マイクシリーズに表れているのだろう 近年役柄とはいえ、すがれた姿を目にして、私は胸を衝かれる思いがした 見終わった後、小春日和の陽だまりを感じさせてくれる映画を、切に願っている
 

     劇画家辰巳ヨシヒロのセーター
「劇画」という名称を作った漫画家である 私が今まで好きになった男性漫画家はというと、年代順に寺田ヒロオ、桑田次郎、つげ義春、永島慎二、鈴木翁二、石井隆、湊谷夢吉、森雅之、山川直人である 辰巳ヨシヒロは月刊「ガロ」で二番手といったところ が、シンガポールのエリック・クー監督が2011年に敬愛するTATSUMIを映画にしたと知って、虚を衝かれた 辰巳のCOMICSがフランス等の海外で高い評価をうけていると知って驚いた このセーターを作るにあたり、手持ち分を読み直した 最後の一頁でアッと言わせる手法はつげ義春も同様だが、辰巳の場合、展開がよく理解できないものもある 後身頃に入れたのは1970年作の「いとしのモンキー」である これは凄い


  12月   歌手ハリー・ニルソンのセーター
ティム・ロスの出た作品を追っかけていて「レザボア・ドッグス」に会った タランティーノは敬遠していたから、今頃になって見た ギャング一味と内偵の刑事が全滅した後、クレジット・タイトルが流れると同時に、ニルソンの「ココナツ」が流れた 巧い! ニルソンはポップなロックンローラーだった 20代の私は、広音域のなめらかな声の「ウィザウト・ユー」や「ワン」に慰められた 30代に入ってからいつの間にか聴かなくなり、いつの間にかニルソンは亡くなっていた 私には9枚のLPレコードが遺った


 
       檀一雄のチョッキ
「火宅の人」を買ったまま、何十年寝かしていたことだろう 沢木耕太郎著「檀」、檀ふみ著「父の縁側、私の書斎」を読んだ後ひも解いた 初めは4頁ほど読んでから寝ついていた 読むのが苦痛だった が、次第にこの人の裡で吹き荒れる暴風に巻き込まれていった 女性問題、系累への仕送り、子どもの病気、非行、大量の食材を買い込んでの調理とふるまい、そしてあおる酒....それらが渦巻くように絡み合っている どこまで行っても見える孤独 やがて重い単行本も苦でなくなった 映画「火宅の人」は緒形拳の熱演をもってしても一面しか描いていない ニューヨークのホテルの高層階で、窓に裸で腰かけ、ウィスキーとミルクを交互に呑み続ける檀一雄の姿が私には忘れられない



  2018 1月   歌手ドン・マクリーンとゴッホのセーター
「アメリカン・パイ」というアルバムの中に「ヴィンセント」という歌がある ゴッホについて歌った曲だ 「スタリ・スタリ・ナイト・・・」で始まる ゴッホの孤独を慰め、彼の生き方を理解したよと歌う 実に心優しい歌で、たった1枚のLPしか持っていないが、ドン・マクリーンの歌声は私の裡で流れている
    ティム・ロスのベスト
ゴッホといえば '90年にロバート・アルトマンが監督した「ゴッホ」でティム・ロスが演じていたのだった 観終わって「ふうーっ」と熱いため息が出たのを憶えている ティム・ロスは多才でいろんな役を演じ、監督もしている が、ミシェル・フランコ監督の「ある終焉」を見て驚いてしまった この映画でT・ロスは終末期患者専門の介護士に扮している この介護士、女性患者と親密すぎたり、男性患者の求めるままにポルノを観たり、男性患者の経歴を自身のものにスライドさせたり、患者の家族になじられても平然としている その不気味さ、現代的な病理を、T・ロスはものの見事に演じていた
  2月   ティム・ロビンスのセーター
大きな体に童顔が乗っかった才人ティム・ロビンス あまたある作品の中で私が好きなのが「ショーシャンクの空に」と「あなたになら言える秘密のこと」 刑務所の中でゴツい男の色目におびえながらの脱獄行と、モーガン・フリーマンとの友情が心憎い「ショーシャンクの空に」 心を閉ざし続けるサラ・ポーリーの痛みと、大やけどを負った自身の原因を語る繊細さが交叉する瞬間が素晴らしい「あなたになら言える秘密のこと」 前身頃に編んだのは、ポール・ニューマンと共に大笑いする「未来は今」より
      「おばあちゃんの家」のセーター
2002年イ・ジョンヒャン監督の韓国映画である とにかく素人のキム・ウルブンさんのたたずまいが素晴らしい 私も劇中の少年のように祖母をないがしろにしたことがある だから、このおばあちゃんを見ているだけで泣けてくる もうあやまることはできないけれど



 

  3月   いわさきちひろの半袖ニット
大学に入って児童文学研究会に入った そこで先輩の女性たちが夢見るように紹介してくれたのが「あめのひのおるすばん」(’68)と「あかちゃんのくるひ」(’69)だった 今まで見たこともない感覚、幼児のしぐさが新鮮だった 後じて私はこの2冊の核は、“孤独の実感”にあると思うようになった 猫はいるが“ひとり”のるすばんの恐怖 やがて家にやってくる赤ちゃんによって、愛の王座を譲らなければならない孤独 赤ちゃんの帽子をかぶった表紙の絵はせつない 今回はしんぶんに載っていたベトナム反戦野外展のポスターの子どもとちひろの肖像を編んだ 子どもたちは今日も大人たちに殺されている
 


      ビリー・ボブ・ソーントンのベスト
「スリング・ブレイド」はビリー・ボブ・ソーントン監督・主演(1996) 多才の人である 私の中でこの映画は「アラバマ物語」とセットになっている 障がい者と思われていた男の中に流れている心がものの見事に表現されている 20年以上経っても、また見たいなあと思っていたら、レンタル店の棚にあった!最初と最後に、収容された病院の窓の外を男は眺めている が、男はもう孤独ではない 少年との憶い出がたっぷり頭の中に残されたのだ 次は「チョコレート」にめぐりあいたいと願っていたら出会った
 これもまたひしひしと孤独が伝わってきた
      永島慎二「旅人くん」の半袖ニット
映画「黄色い涙」(07・犬童一心監督)の冒頭に、ダンさんの油彩の自画像が出て、献辞を読んだだけでグッときた 大学時代、「ガロ」で読んで好きになった 絵が好きだった 登場人物のこころ根が好きだった
 前身頃は、大都社版やサンリオ文庫版、西早稲田の安藤書店の包装紙をミックスした 後ろは油彩の自画像より
 
  4月   中村雅俊の半袖ニット
古レコード店の店先に均一コーナーがある そこで昨年何気なく購入したボックス入りの「時の肖像」(1991)というアルバムに、「ひとりぼっちの夜空に」が入っている 作詞・康珍化、作曲・吉田拓郎 あなたを好きになったら僕は苦しみ傷つくが、その方がずっとしあわせだよ、という歌だ 私の胸をえぐったので編んだ
      キム・ギドク監督のセーター
民団の韓国語講座に通っていた頃、事務員と映画の話になってキム・ギドク監督の名前を出したら、即座に否定された 私はイム・グォンテク、イ・チャンドンと同じくらい好きな監督なのだが 後見頃には「悪い男」「春夏秋冬そして春」「うつせみ」そして「アリラン」と製作順に好きな作品を入れた この人の製作の核は詩だろう 肉付けは事件だったり現象だったりするが 気になっていることがある いたって生真面目な内省を綴った「アリラン」以後、画面からカラーが抜け落ちて、泥のような感触になっていることだ このセーターの赤と青は「火と水の対話」を表現した
 
 

  5月   ビル・エヴァンスのセーター
映画や小説や、詩や歌を評する時のようには、私はJAZZを語れない 不思議なくらい言葉が出てこない でも、ビル・エヴァンスの曲は大好きなのだ ピアノ・タッチが他の人とは違う 早弾きでもこれみよがしの感じがしない スロウ・テンポだと、その内省に常に揺さぶられる 後ろには好きなタイトルを入れた 「Peace Piece]「Blue in Green」「Some Other Time」を両袖口にはピアノの鍵盤を配した 永らくLP「ポートレイト・イン・ジャズ」しか持っていなかったが、古書店でCDを購入したり、図書館で借りたりして聴いている エヴァンスの曲は今も私にとって現在である


 
      ニコラ・フィリベールのベスト
フィリベールはフランスのドキュメンタリー映画の監督 「パリ・ルーヴル美術館の秘密」('90)と「ぼくの好きな先生」('02)しか見ていない
 けれどもこの人の、人間と世界を視る目の自然さ、確かさはいつまでも見ていたいという気にさせてくれる

  6月   タンタン/エルジェの半袖ニット
タンタンとスノーウィをいつから好きになったのか覚えていない 3年前だったかユニクロの夏のTシャツにタンタンが扱われた 3枚買った しかし作者のエルジェについては、アンドレス・オステルガルド監督「タンタンと私」('03)を見るまでは何も知らなかった エルジェは1907年生まれというから 日本でいえば明治の人 しかし線も、決して多色を使っているわけでもない色彩も、決して古びることのないCOMICSである 下のあみぐるみは、スノーウィをモデルに'99年6月に制作したもの


     中里恒子の袖無し
    はじまりは昨年に「時雨の記」を読んだこと すっかりこの中高年男女の愛のとりこになってしまった 以来、小説や随筆をたて続けに12冊読んだ 澤井信一郎監督の同名映画('98)も見た しかし「時雨の記」を読んだ時に感じた「覚悟」の密度を越えるものには出会っていない
先日、本の整理をしていたら、十返肇の「現代文壇人群像」(S31・六月社)が出てきた そこに「女流作家うらおもて」で中里恒子がある 引用する ~いつもお作は絵のように美しくって気品がおあんなさって、私たちシモジモのものには文句のつけようもないんザマスけど またそれだけに生活からも遠くて頼りないような気がするのは止むを得ぬ それというのも、この奥様のお作には、作者が命を賭けた激しさというものがゼンゼン感じられないからじゃございません?(後略)~全篇こういった調子でヤユされている その約20年後に出た「時雨の記」を十返の墓前に供えたいと思う


 
  8月   幸田文の袖無し
亡き祖母は寒くなると着物の上に袖無しを重ねていた 寺田文は書いたものも生き方も、一本筋が通っていて近寄りがたい 映画化された「流れる」成瀬巳喜男監督(1956)も「おとうと」市川崑監督(1960)も大好きで、何度見てもいい ただ村松友視の「幸田文のマッチ箱」('05)などを読むと、ユーモラスな一面もあり、後見頃には笑顔を選んだ
 酷暑の中、7月中に完成することができなかった
  9月   シャーリー・マクレーンのニット
図書館のライブラリーを利用して、見落としていた作品を見るようになった 「噂の二人」のS・マクレーンは素晴らしい 同性を好きな自分に気付いてから自死に至るまでの匂い豊かな表情にしびれた 「スイート・チャリティ」の切れ味鋭いダンスにはため息が出た なおビリー・ワイルダー監督の2作「アパートの鍵貸します」と「あなただけ今晩は」は、生臭いヒロインで好きになれない また近作の、頑固でわがまま一杯の老女も好きになれない あくまでもチャーミングなのがS・マクレーンなのである 補足ついでに、やっと「スイート・チャリティ」のラストで、傷ついたチャリティを慰めるフラワーチルドレンの「グッモーニン」が、TBSラジオ「パック・イン・ミュージック金曜第2部林美雄」のラスト・ナンバーであったと気付いた またチルドレンの1人がバッド・コートであったことも
  10月   ジャンヌ・モローのニット
彼女が亡くなったのを今年になって知った 「小間使の日記」「雨のしのび逢い」「マドモアゼル」と借りて見た 「雨のしのび逢い」(原題「モデラート・カンタービレ」)の彼女が素晴らしかった 愛する息子が傍にいても、死への誘(いざな)いに抗うことができない女性の苦悶と彷徨を、あますところなく表現していた 晩年の「クロワッサンで朝食を」など、人から嫌われようと我を通す、女性のプライドを眼に灼きつけさせた 「ジブラルタルの追想」は見られないが、「突然炎のごとく」は図書館にある
 
      ミレーユ・ダルクのセーター
後見頃に、ジョルジュ・ロートネル監督の「恋するガリア」「女王陛下のダイナマイト」「太陽のサレーヌ」の3作を編み込んだが、さほど重要でない むしろ未見の「牝猫と現金(げんなま)」を、学生時代の友人Sがこの映画の愉快さを、たのしそうに語っていたのを覚えている M・ダルクは映画より、私にはズボンの穿き方を教えてくれた人である 特に白の綿パン!スリムなのを、ベルトを通さず腰骨で穿く姿のカッコ良さ 彼女の他にもう1人いた アンソニー・パーキンスだ コールテンの細身のズボンにタータンチェックのボタンダウンのマドラスシャツ 洋服の趣味は今も変わらない M・ダルクもJ・モロー同様去年亡くなった
 


  11月   アンジェイ・ワイダ「残像」のセーター
「残像」は遺作である 体制が変わり教授の自由は日毎、目に見える形で奪われていく その全体主義の恐さを、実在の美術家を通して描いた 仕事がなくなり、ショウ・ウィンドウのディスプレイの職に付いたものの、松葉杖の不自由な体では思うにまかせない 倒れ込む教授が、吊り下げられてゆらゆら揺れるマネキンに必死でつかまろうとする姿と、明るく開けたショウ・ウィンドウの向こうを誰一人として気付かない通行人 このワン・シーンでアンジェイ・ワイダはこの世にとどめを刺した
 

  12月   フリドリク・トール・フリドリクソン「春にして君を想う」のベスト
「残像」を編み終えた後、珍しく頭の中が空白になった 私の現実にいろんなことが起こっている これは借りてきた5本の中の1本で、以前映画会で見ていたアイスランドの映画 身終(じま)いをしていく高齢の男性を、淡々と描いていく その装飾のない表現が素晴らしく、また翌日も見てしまった 主演のギスリ・ハルドルソンにも、わずか37歳でこんな作品を物したフリドリクソン監督にも拍手を贈りたい
 
      竹原ピストルの半袖ニット
2012年、レンタルで「海炭市叙景」を見た 無一文になった元旦に自死する兄を演じていたのが竹原ピストルだった クビになった造船所で、完成した船を追いかける笑顔が印象に残った が、竹原ピストルが何者なのか一切知らなかった ’13年夏、街角に破顔一笑のポスターに出合った 竹原ピストルが当地のライブ・ハウスに来る! 早速チケットを購入 9月5日、1.5m前に立っていた 裸足で体の奥にある、生きる哀しみを諧謔で包んだことばと声で伝えてきた 彼の足下には汗だまりができていた 帰りにファースト・アルバム「BOY」を求めた 時は流れ、’17年に出たアルバム「PEACE OUT」をレンタルした そう、もうレンタル店には竹原ピストルのコーナーができているのだった その中に「例えばヒロ、お前がそうだったように」があって、「ちゃんと人間か?」のフレーズに何度も何度も体がビリビリしたのだった
 


 
2019 1月   友川カズキのセーター
友川かずきは今も歌っているそうだ 絶叫しているのだろう そうだと嬉しい「生きてるって言ってみろ」はアルバム「千羽鶴を口に咬えた日々」に入っている 竹原ピストルの「ちゃんと人間か?」に呼応するように、「生きてるって言ってみろ」のフレーズは私の中から湧き起こってきた しかし、LPではもう聴けない 4枚持っていたLPも1枚は貸したまま40年近くになる 中也の詩を歌った「俺の裡で鳴り止まない詩」が大好きで、今でも時どき
一節を口ずさむ
 


 
  2月   ジャック・ブレルのベスト
’18年10月1日にシャルル・アズナブールが亡くなったと聞いて、私が思ったのはジャック・ブレルのことだった 同時期に活躍していたのだが、ブレルの方は’78年に49歳で亡くなっている 「行かないで」の入っているベスト盤が1枚、私の手許に残っている 友川カズキもジャック・ブレルも図書館のライブラリーにはない 先日借りてきたドキュメンタリー映画「ベジャール、バレエ、リュミエール」の中で、「行かないで」に振付を形にしていくシーンが出てきて、久しぶりに歌声をたんのうした 前身頃には原題の「NE ME QUITTE PAS」を、後ろにはアルバムの肖像を、彼の愛した海に浮かぶようにした
 


 
  3月   シャルル・アズナブールのセーター
アズナブールの名は学生時代、ラジオから流れてきた「ジェザベル」の壮絶な歌声で覚えた フランソワ・トリュフォー監督の「ピアニストを撃て」のひょうひょうとした佇いと、仔鹿のようなアーモンド型の瞳が印象に残った この人の父は、故郷を追われ世界に散らばったアルメニア人の一人である アルメニア人の作家といえばウィリアム・サロイヤンである 短編集「我が名はアラム」の中に「哀れな燃えるアラビア人」がある そこに出てくる「口髭があるのに、彼の心は大人よりも子供に近い印象を与えた 眼も子供のようだったが、永年の思い出が宿っているようだった」アラビア人が、アズナブールを思わせた その人を伯父さんは「哀れな燃えるみなしごよ」と呼んだ アズナブールは去年の5月、飛行機に乗るのはドクター・ストップがかかっていたにもかかわらず、日本公演の10日後に亡くなったという 94歳だった
 


 
  番外 紋切りのベスト
少しご無沙汰だった友人から、1月に、便りと共に紋切りが8枚届いた 私が紋切りに関心があるのを覚えてくれていたのだ その嬉しさが 宙ぶらりんになったままだったので、ベストにすることにした 前は1枚を除いて色合わせを同じにした 後ろは私の気ままだ ちなみに添えられた名称を、向かって右から時計回りに記しておくと、「三つ葉藤」「曇り雪」「蔓返り四つ目菱」「横見唐花(よこみからはな)」「変わり対(むか)い銀杏菱(いちょうひし)」「丸に一つ丁字」である 深謝!


  4月   アンソニー・クインのポンチョ
アンソニー・クインほどの名優が、現在あまり顧みられていないのは寂しい 久しぶりに図書館で「道」と「その男ゾルバ」を見た が、「日曜日には鼡を殺せ」も「サンタ・ビットリアの秘密」もなくて残念だった この人ほど多国籍人に扮した俳優もいないだろう 生まれはメキシコ だからポンチョを編んだ 出来上がって被ったら、重いのなんのって 誰が着るかい!「ま、いいって」とクインなら、酒と煙草とで凄みのきいた声で笑い飛ばしてくれるだろう
 

  5月   ブリジット・フォンテーヌのニット
私の20代をゆたかにしてくれたフランスの歌姫ブリジット・フォンテーヌ アルバム「ラジオのように」を何度聴いたことだろう 「サンジェルマン、うたかたの日々。」(2014年)を借りてきた その中に「ラジオのように」が入っていて、繰り返し聴いた ちっとも古びていない 後見頃の後姿はライナー・ノーツより
 
  6月   ワンピースのような浅川マキのニット
浅川マキは2010年に亡くなってたんだなあ この人も私の20代を潤してくれた歌姫 1枚のLPと2枚のシングル盤と'69年ATG新宿文化のコンサートのチラシと、新譜ジャーナル別冊号MAKIとが私の手許に残った シングル盤で「こんな風に過ぎて行くのなら」を何度も何度も聴いた 今でも歌える
 
  7月   安田南のベスト
私の20代を明るくしてくれた歌姫、安田南 2009年に亡くなったらしい 不明なところがこの人らしい LP「South.」「赤い鳥逃げた?」と同じシングル盤、著書「みなみの三十歳宣言」とF君が送ってくれた’72年1・2月号“JAZZ”誌のコピー 伸びやかな歌声とことば、ありがとう
 





暑いので編まなかった 例年どおり寝ころんで読書三昧とプール通い それと高松市文化奨励賞・顕彰部門に自薦で応募 書類作成のために、ダンボール箱やファイルをひっくり返し、20代から現在までの歩みを辿った 結果は選にもれたが、古希を迎えての総括ができ、快い気持ちが残った 8月は久しぶりに小説に取り組み、71枚を書いた 毎日が妄想また妄想で血圧が上がったが、9月の〆切になんとか間に合った  
  10月   ちあきなおみのサマーニット
2002年にちあきなおみが人びとの前から姿を消してからもう17年 カムバック待望論も余り聞かなくなった 彼女はもう人前で歌うことはない、と私は思う 後年の歌はコブシがなくなり、風のようになったのだ その高みを、残された歌を聴くたびに実感する 後見頃に編み込んだのは「花」の付く3曲「紅い花」「祭りの花を買いに行く」「花吹雪」 割愛したが石原裕次郎のカバー曲「こぼれ花」も好き 残されたたくさんの曲を、愉しむだけ 細い糸の3本取り、おまけにラメ糸を混ぜたものだから、数段編むと絡まってほぐすのに手間取り、時間が思いの外かかった
 
      四國五郎の半袖ニット
昨今また広島の画家四國五郎に光が当たり、巡回展が行われているのがうれしい シベリアでの抑留体験と戦後’48年に帰国して知る弟の被爆死 峠三吉の死 ヒロシマの画家として生きた四國五郎が表紙絵の「峠三吉詩集にんげんをかえせ」(新日本文庫)を編んだ 同じシベリアの抑留体験を作品にした、隣の山口県の画家香月泰男と四國に交流はあったのだろうか 90年の生涯であった


 
      高原直泰のニット
かつてサッカーのJリーグをTVで見ていた頃、ジュビロ磐田の高原直泰が私のひいきだった これを編もうとして図書館で借りられたのは、約15年前の2冊 ここ3年間のサッカー雑誌を調べたが、記事は皆無 今もこんなサインをしているのだろうか 肖像は’03年頃の切り抜きから 現在沖縄SVで代表兼監督兼選手とか 「成熟と純粋」の40代を送っているのだろう
  11月   池部良のセーター
始まりは「21人の僕・映画の中の自画像」を読んだこと 池部良は私の母の1年後に生まれ、1年早く亡くなった 享年92歳 私の親の世代だから、あまり興味がなかった が、上記の本が面白く、大冊のインタビュー集を借りて読み、更に出演作を見たくなった まずはとどめの「乾いた花」を初見 一発でこの虚無のとりこになった 「早春」「けものみち」「暗夜行路」「黒い画集・寒流」「昭和残俠伝」「同・死んで貰います」「山のかなたに」と見た もっと見たい ところで、池部良は名文筆家である 少年時代の家族、ことに父との交情は宝ものである 5冊読了し、あと5冊残っていて、少しずつ読んでいる


 
      和田誠のベスト
和田さんが昨年の10月7日に亡くなられた いつまでも若わかしい仕事ぶりだったので、訃報はショックだった 和田さんの絵は、いつも手の届くところにあるような気にさせるマジックがあった だから私は驚くほど和田さんの本を持っていない 日活名画座(新宿にあった)に描いたモノクロのポスター集は私の宝物だ
 
  12月   橋本治のセーター
橋本さんの訃報も、文芸誌に疎くなっていた私にはショックだった 晩年は闘病で苦しんだという 「桃尻娘」も少女まんが論も小説も読んだが、私にとっての橋本治は「男の編み物 橋本治の手トリ足トリ」に尽きる 35年前、この本に出合って以来、私はずうっと編み続け、このシリーズを体が動かなくなるまで続けようと思っている セーターの絵柄は橋本さんのカーディガン「吉野山」を元にし、肖像は当時のものである
 


 
2020 1月   田中一村のニット
苛烈な日本画家、田中一村である 50を過ぎて奄美に渡り、本懐の絵を完成させた 倉敷で見られた作品に涙した 画集や評伝をしばらく読んでいなかったが大冊が出版され、また一村熱が私の中でぶり返した ただこの大冊より旧作の小林照幸著「神を描いた男・田中一村」の方が、生身の一村を私に与えてくれた 一村がいつも着用していたランニング・シャツの型に、前は肖像を、後ろは一村に思えるアカショウビンを配した
  2月   井上有一のセーター
苛烈の墨人、井上有一である 高校に入り、書道部に所属した 担当教師は前衛書道(今となっては死語?)の人で、入ってすぐ、習字臭の筆づかいを徹底的になおされた 生意気だった私は不機嫌な顔を隠しもせず、書いた、書いた その頃の部室に、書誌「墨人」が置いてあり、そこで 井上有一の書と出合った 「習字でメシを食ってはいけない」の持論に反して、私は50年近く口を糊してきた 悔恨はない そして、井上有一の書が好きだ 前身頃には「仏」(ブツ)を、後ろには操上和美の写した後ろ姿を入れた
 


 
      ジャック・ドゥミの半袖ニット
映画の中で現れる色彩で、ピンクとスカイブルーとホワイトが際立って美しいのは、グザヴィエ・ドラン監督とペドロ・アルモドヴァル監督の作品である そこに「ロシュフォールの恋人たち」を何度も繰り返し見ているうちに、ジャック・ドゥミ監督も加わると思うようになった ミュージカルだから、人びとが踊り歌うのが当然だが、これに色とりどりの色彩が加わると、眼の悦びは倍増する ところで、新文芸坐シネマテークvol.30ジャック・ドゥミ特集のチラシには、「1990年10月27日、エイズにより死去」とある 私には「?」が住み続けるようになってしまった
 
 

  3月   アニエス・ヴァルダのニット
ジャック・ドゥミの妻で監督のアニエス・ヴァルダ 昨年3月、90歳で亡くなった この人の映画を私は1本しか見ていない それが「幸福」で、しあわせと読む 子ども2人と夫婦でピクニックに出かける幸福が、夫が郵便局勤務の女性を好きになり、壊れる 「もう一本木が増えただけだよ」と妻に告げ、その後妻は入水 そして何事もなかったように女性の加わった4人のピクニックで終わる 自然の色彩の美しさ、モーツァルトの音楽、そして男と女の官能―17歳の私はすっかり酔いしれてしまった その世界を追慕する如く、理数系の授業中には、ポスターのロゴ「幸福」ばかりをノートに描いていた
 
      J・ポロック/エド・ハリスのセーター
ジャクソン・ポロックはアメリカの抽象画家 井上有一同様書誌「墨人」で知った キャンバスに、たっぷり絵の具を含ませた筆を垂らしたり振ったりしてできた線を重ねてできた作品は、なるほど書と重なるのであった そのポロックを、エド・ハリスが監督し演じた 強面(こわもて)であまり好きではなかったエド・ハリスを見直した 前身頃はポロックの作品2枚を、後見頃はエド・ハリスを、両袖は即興で彼の作品を表現した


 
  4月    辻まことのチョッキ
いつからか私の中に辻まことが棲むようになっていた 多才の人で絵描き、文筆家、登山家、演奏家等々… 「山の声」を再読したり、西木正明「夢幻の山旅」を読み、彼の人生を辿った 父はダダイスト辻潤で終戦の前年に餓死 母は関東大震災後のどさくさに軍部に拘束され、夫の大杉栄と共に虐殺された伊藤野枝であった 3歳の時、母は家を出た 凄絶な人生の最期が自裁であったことを「夢幻の山旅」で知った チョッキの前は自ら名付けた otocam を、後ろは「辻まことの芸術」でギターを弾く彼を、野外炊はんの道具で囲んだ
       伊藤ルイの半袖ニット
伊藤野枝の遺児7人のうち、大杉栄との間に生まれた5人のうちの4女で、ルイさんの本名はルイズである 松下竜一「ルイズー父に貰いし名は」で、自分の人生に向き合わないで生きてきたことを気づかされ、つらかったインタビューを乗り越え、父と母が実現しようとして果たせなかった「平等」と「平和」と「自由」を希求していったルイさん 今回「虹を翔ける・草の根を紡ぐ旅」を再読、「海の歌う日」は詫間町の図書館から取り寄せてもらって読んだ ニットの色調は、ルイさんの往くところよく虹が出たというのでレインボー・カラーに 前の右側はルイさんの署名を(「虹を翔ける」は署名本だった)後ろは下嶋哲朗さんによるイラスト、ARCO IRIS(虹)より 生活を支えるために毛糸編み(ルイさんは編み物をそう呼んだ)をしたルイさんは、このニットを見て笑われるだろうか ちなみにこれがこのシリーズ100作目である


 
  5月    「エロス+虐殺」/大杉栄と伊藤野枝のニット
これを編む前に、嫌で嫌で避けてきた甘粕正彦についての本を、とうとう読んでしまった 佐野真一著「甘粕正彦乱心の曠野」がそれ 私は男という種が作り出した軍隊という幻想が大嫌いだ 階級という序列で他者を屈服させ、忍従を強いる制度に命を懸けるなど、御免蒙る 終始ムカムカしながらこの大冊を読んだ この本の口絵に、大杉たちの家族写真が一葉はさみ込まれている 何故虐殺された側がこの本になければならないのか 無神経きわまる
さて、「エロス+虐殺」だが1970年、吉田喜重監督作である ―春三月縊(くび)り残され花に舞うと吟じた大杉栄と乱調の美の生涯を生きた伊藤野枝の叛逆とエロトロジーについての 若きわれわれ・私それともあなたの アンビバランスな加担に至る頽廃の歓びのあるトーキング― これがこの映画のコピーだ 一柳慧(とし)の音楽に酔い、シングル盤のサウンドトラックに何度も針を落とし、瀬戸内晴美著「美は乱調にあり」も読んだ 難解なこの映画を上映したアートシアター新宿文化へ私は2度も足を運んでいる 前はフランス版ポスターを元にし、後ろは野枝と大杉の肖像を ただ下図ではそうでもなかったのだが、編んだら野枝の眼がきつくなった ま、そういうものだ
 
       宇多田ヒカルと藤圭子のセーター
そもそも沢木耕太郎著「流星ひとつ」を古本で読むまでは藤圭子のことを忘れていた が、もう彼女のCDを改めて聴くことはなく、むしろ娘の宇多田ヒカルの歌はどうして悲しいのだろうと、アルバム5枚を聴いた かつて佐々木昭一郎さんは「赤ん坊の泣き声はラの音で、万国共通だ」と仰言っていた 宇多田ヒカルの歌は聴いた後、何故かラの音ばかりが耳に残ってしまったのだ 私が好きな曲はアルバム「Distance」の中の「Can You Keep A Secret?」と「蹴っ飛ばせ!」 アルバム「DEEP RIVER」の中の「SAKURAドロップス」だ 休暇明けのアルバム2枚はまだ聴いていない '04年の個展の際、CASA BRUTUS2月号で彼女がイサム・ノグチ庭園美術館へ来ていたので購入し、期間中ずっと見ていた 一方の藤圭子だが私が好きだったのは「面影平野」で、シングル盤を持っている が「流星ひとつ」ではこの曲の心をつかめないまま歌っていて好きではない、と言っている 引退の要因は声、喉の手術と言い切っている たしかに後年の声はドスが消え、きれいになっている 死後に出たシングルCD「母子舟」(おやこぶね)の若き日のジャケットを編んだ 両袖には好きな曲のタイトルを各ぞれ入れた
 
 

  6月    「シュヴァルの理想宮」のセーター
徒歩で一日に32kmも歩いて郵便物を配った実在のフランス人シュヴァル 彼は妻に死なれても、一人息子と生き別れても「悲しい」という感情を持ったことがなかった 再婚し、ある日配達中に石に蹴つまづき、転落 その時の石の断層が彼の人生に啓示を与えた 誰に命じられるでもなく、やがて石を拾い集めて積み上げていく 次第に建物になっていく そんな父を温かく見守っていた娘の死 その悲しみに、小川の水面に倒れるシュヴァルに、初めて人間の感情を獲得した姿を見た 主役のジャック・ガンブランが19世紀の男を体現して、素晴らしい
 

  7月    絵本「かないくん」のチョッキ
図書館の児童書でなくアートのコーナーで発見 作・谷川俊太郎 絵・松本大洋 絵本作家の祖父が小学時代の級友の死をテーマに、話をつむいでいるのだが、途中で止まる そして祖父の死 それを受けとめる孫娘 死の連関が見事だ ついつい私が小学4年の時、心臓病で亡くなった同級生のE子さんを憶い出してしまった クラス代表で葬儀に参列し、土葬される棺を見ていた 雨が降っていた 両親の悲しむ姿が目に焼き付いている
 
       松下竜一のセーター
「ルイズ―父に貰いし名は」を再読して以来、この夏はコロナ禍のせいで屋外プールもなく、ソファに寝ころんで松下竜一の本をひたすら読み続けた(10月に入り30冊目に達した)松下さんは2004年に67歳で亡くなっている ’04年の死を強く意識していなかった自分が、今更のようにひどく悲しい 中津市船場に根を張り、不充分な体調で生きた小さな知の巨人であった 前の肖像は「怒りていう、逃亡には非ず」(河出文庫)のカバー裏の写真より 後ろは著者題名より 先日、中津市役所観光局に電話で問い合わせたところ、松下さんの記念文学館はないという 「宝の持ち腐れでないのか」と思わず言ってしまった



 
  8月    今年も編まず、ひたすら読書と午睡のくりかえし 小説(71枚)、イラスト、エッセイ(4枚)を応募した 2年5ヵ月の闘病の果て、次兄が74年の生涯を閉じた
香川医療生協四十周年トートバッグ・デザインに応募し、金賞を受ける
 
  9月    ますむらひろし「銀河鉄道の夜」のセーター
赤旗日曜版で1月から連載中の、このまんがの素晴らしいこと!どこまでも手が細部を描き込んでとめられない 快活なカンパネルラに比し、ジョバンニは哀しい だから哀しみに沈みすぎないように、青と緑と紺の三本どりで編んだ ジョバンニの肖像は6月21日号の5コマ目を元にした



 
  10月    渡辺一枝「チベット」のセーター
チベットを愛してやまない一枝(いちえ)さんの、写真とエッセイの「チベット」が出版された その中の少年僧が、深ぶかとした雰囲気をまとっていて、編みたくなった 前身頃は着物のように2つ編んで合わせ、色の氾濫を試み、袖は地味にした 思えば「女性のひろば」(’98年8月号~’99年7月号)の連載の依頼があった際、編集部から送られてきた本の中に「私と同じ黒い目のひと」があり、そこから少年・少女を2人ずつ編ませてもらった それ以来の縁である

童話、というより児童文学(10枚)を書いて応募した
 
 

  11月    ハシビロコウ「ササ」のベスト
一昨年の秋、「ハシビロコウのすべて」という本が、日曜版で紹介され、私はたちまちとりこになった 昨年、図書館で購入してもらい、充分たんのうした そこで編んだのが、高知県の「のいち動物公園」にいる「ササ」である 早くコロナが収まったら、これを着て「ササ」に会いに行きたい
 
 
       モンゴメリー・クリフトのセーター
2020年は三船敏郎やF・フェリーニ生誕100年の年で、特集が組まれたりした が、モンゴメリー・クリフトもそうだった この美男俳優を想い出した人は何人いたろう 想い出すのは「陽のあたる場所」(1951)の青年の、寂しい寂しい背中だ かげりを帯びた瞳が目に灼きついて離れない 「山河遥かなり」の誠実なGIも忘れ難い
  12月    「草の根市民」のゼッケンのベスト
松下さんの「小さな手の哀しみ」を読んでいたら、「ゼッケン騒動」にぶつかった 集会へ行った際、組織に属さない者たちは孤立化して心細い そこで松下さんが考案したのが「あなたと手を結ぶ草の根市民のひとり」というゼッケン 梶原和嘉子さんが制作の任に当たった 実物がどんなのか不明だが、勝手に作った 約半年に及んだ松下本の読書で、全38冊(うち図書館のものが12冊)関連本を2冊で一応終えた 未読の数冊に後ろ髪が引かれるが....
 
       サム・ロックウェルのセーター
「スリー・ビルボード」(2017)のサム・ロックウェルの演じた警官は凄かった 口をついて出て来るのは常に差別まるだしの汚い言葉 目は常に猜疑心に満ち満ちている 歪んだ性格を治せぬまま中年になってるのが痛いたしい これをロックウェルは、体の中で音楽(ロックかカントリーか)が鳴り響いているかのように動き回る やがてラストには最も対極にいた筈の二人の道行きとなり、作り手の「大人」を強く感じた
 


 
 2021 1月    谷口ジロー「歩くひと」のセーター
谷口さん、2017年に亡くなってたんだね この人の描き込みも凄かった 初期のバタ臭いアクションもの、関川夏央との明治期人物ものと進み、フランスでの評価も一段と高かったという 私は「歩くひと」を選んだ 前は一本の樹に見たててタイトルと名前を入れた 後ろは第15話「よしずを買って」の2コマ、林の中で一服する木洩れ日を入れた 両袖は方眼紙に描かず、即興で夏空の雲を編んだ
 
 

  2月    樹村みのりとベアテ・シロタのニット
昨年、岩波現代文庫に樹村みのり「冬の蕾ベアテ・シロタと女性の権利」を見つけ、嬉しくなった 30数年ぶりに彼女のまんがに接した 日本国憲法に、戦前の日本女性の権利の低さを痛感していたベアテが、14条と24条に「女性の権利」を書き込んで譲らなかったおかげで現在がある 前はベアテ若き日の肖像 後ろは単行本「悪い子」の中から「晴れの日・雨の日・曇りの日」の泣きじゃくる「さとこ」ちゃん 思えば樹村さんは「サッコとヴァンゼッティ事件」や「パサジェルカ女船客」に材をとる人だった ベアテを選んで何の不思議があろう 相変わらず街並や樹木、草花、そして俯瞰のアングルが素晴らしくて、一気に30数年の時を超えた
  3月    バート・レイノルズのセーター
タフガイのバート・レイノルズが2018年、82歳でこの世を去った 遺作の「ラスト・ムービースター」は、自分を笑い飛ばす度量を持った作品だった アクション・スターを貫き通したこの人も、劇中の自作「脱出」を見ながら台詞を喋るシーンがある レイノルズ唯一の異色作「脱出」を、大切にしていたことがよくわかる 再見したいなあ 「ロンゲスト・ヤード」を借りてきてまた見たが、やはり痛快な気分にさせてくれた
 


 
     ジョージ・オーウェル「1984」のセーター
G・オーウェルが1949年に書いた「1984」をとうに過ぎて、今は21世紀 ディストピアの実感をひしひしと感じる2021年 映画化は2度 1956年マイケル・アンダーソン監督作(モノクロ) 1984年マイケル・ラドフォード監督作(カラー) 2作とも秀れている 
「カタロニア賛歌」も「動物農場」も角川文庫で持っていた筈だが、探してもない かろうじて「パリ・ロンドンどん底生活」が出てきたので読んだ うんざりするくらいの貧困生活が克明に綴られている ディストピア小説の根底にあるものだ
 


 
  4月    イェジー・コシンスキ「異端の鳥」の半袖ニット
1972年に出版された時の表記はイエールジ・コジンスキーだった この大変な原作の映画化を、困難を乗り越えて実現したチェコのヴァーツラフ・マルホウル監督 目をそむけたくなるシーンの連続を、ただただ私は目撃者のように見ていた 169分はしんどかったが充実していた ラスト・シーンで少年が、バスのくもった窓ガラスに自分の名前を書くのに違和感を持った 甘さを感じたのだ 原作はこうじゃなかった筈 で、原作を引っ張りだして始めから読んだ やはり違ってた 手放しでスターリン賛美をするくだりはすべてカットしてあって同感だが、このラストはいただけない 前は鳥、後ろは「レッズ」に出演したコシンスキを編んだ ちなみに'15年11月作の「チャンス」の原作もコシンスキである


 
       ミロコマチコ「けだらけ」のベスト
この2月、モロゾフのチョコレートをいただいた そのケースに貼りつけられた絵が素敵だった ライトブルーの世界に満月があり、赤いしべの花の上に灰色オオカミが立っていて、赤と黄と白の粒が降っている サインはmiroco machiko 画集を図書館で探した 「けだらけ」を発見 「私にはこの動物がこのように見えます」―と言わんばかりの大胆さ! その中の「うさぎの赤」を後ろに、表紙を前に編んだ 児童書のコーナーのソファで、幼い児に混じって次から次に彼女の絵本を読んだ 久びさの至福の時を持てた 生きる力に絵本は満ち満ちていた
  5月    黒田邦雄のサマーニット
亡くなってから黒田さんの生年を知った 私が黒田さんに我がミニコミを送ったのが1973年 キネ旬の読者の映画評でお見かけし、送った人のうちの一人だった その後知りあいになった仲間たちと黒田さんの店「コーンフィールド」に上京の折に立ち寄った 言葉の毒をオブラートに包んだり包まなかったりの愉しいひと時を、持たせてくれる「大人」だった 一度仲間たちと四谷のエステートに一泊させてもらったりした 二十代の若僧たちが、さぞ迷惑だったろう 黒田さんも「SPLASH」というミニコミを発行し、No4までが手許に残っている たしか'86年だったが、上京の折黒田さんが渋谷の美蕾樹で油絵展を開いていて、お邪魔した 以後は印刷物を一方的に読むだけで、毎年ベスト10で何を選ぶのかが楽しみだった 封書が10通、はがきが5通、名刺が1枚遺った ミッソーニのモノトーンのテキスタイルをベースに、著書「人生を始めないための映画ノート」の表紙を前後に編んだ 「大人」「美」「おかしみ」が黒田さんの怜悧な世界の基準 バート・レイノルズがごひいきだった 私とは「組織」(ジョン・フリン監督)で意気投合したのが始まりになった


 
       大西暢夫(のぶお)「土と水と木」のセーター
一冊の写真絵本に古書店で出あった 「ここで土になる」がそうだ ダム計画が持ち上がり、立ち退きが言い渡される 永年住んだ暮らし、人びとの歴史が水に埋もれ、何事もなかったようになってしまう 大西さんはカメラマン 高齢の人を撮った写真が素晴らしい 作品歴に「水になった村」があり、もしやと思って新聞の切り抜きを詰め込んだ箱を探すと、あった!2007年10月21日付の記事が それからチラシも こういう偶然が重なると、私は止まらなくなる 大西さんのナイーブな視線に導かれて、世間の中で存在が見えにくくなっている人々や職業を、紙上で旅した 11冊は目にしたが、7冊と3本の映画は目にしていない 大西さんの重要なキー・ワード「土と水と木」の付いたタイトルを後ろに、前の肖像は大西ひろみさんの写真を元にした この作品は横から編んだ だからいつものゲージが狂って、身丈が長いセーターになった


 
  6月    ピェール・パオロ・パゾリーニ「奇跡の丘」と「テオレマ」のセーター
パゾリーニが不幸な最期をとげたのが1975年 享年は53 「奇跡の丘」は図書館で再見することができた つくづくこの人は現代文明などはなから信じていなくて、常に古代や中世に人間という生きものを見ていたのだろう だから、キリストを信じていないのにキリストが描けたのだろう 「テオレマ」は古代と現代をつなぎ、切り裂く青年テレンス・スタンプが魅力的でもう一度見たい映画だ 美しい映像だった
 


 
  7月    古川佳子・大待宵草のベスト
昨年松下竜一著「憶ひ続けむ」を読み、半年ほど経って、この戦地で2人の息子を奪われた母・小谷和子さんの娘が、以前私の元に毛糸を送ってくださった古川佳子さんであることに思い至ったのだった 住所録を繰るとあった! なんというていたらく 慌ててダメもとで、「草の根市民」のゼッケン写真を貼ったハガキを送った ところがご健在! 今年94歳になられていた 自著「母の憶い、大待宵草・よき人々との出会い」が送られてきた また毛糸も届いた その糸でベストを編んだ 前はしろ丸に大待宵草を、後ろはしろ丸に「残生に大待宵のひとり生え」を編み込んだ 何故しろ丸か? この方は箕面忠魂碑違憲訴訟を闘った原告の一人なのである
       竹内浩三のセーター
前述の古川さんの本に登場するのが「戦死ヤアハレ」で有名になった竹内浩三 姉の松島こうさんが親替わりにめんどうを見たおかげで、浩三の召集されての日々を綴った「筑波日記」が遺った 本と映画と音楽が大好きな自由人が、兵隊にとられる苦痛が手に取るようにわかる 浩三は「骨のうたう」で書いたように「遠い他国で ひょんと死ぬるや だまって だれもいないところで」死んだ 享年23 前は浩三が手帳に書きつけた「赤子(せきし)全部ヲオ返シスル 玉砕 白紙 眞水 春ノ水」を 後ろは二枚目風の浩三と署名を編んだ
 

       閑話休題(8月から9月にかけて)
7月に2作編んだので、小説は書く時間がとれず 屋外プールは今年もなし 読書と午睡のくりかえし イラスト、童話(8枚)、エッセイ(4枚)を応募 絵を使わせていただいた作者には、わかる限り許可のお願いを出している '19年には四國五郎さんのご子息・光さんから「どしどし使ってください」の嬉しい返事があった '20年には渡辺一枝さんから温かなご返事が 今年はあの樹村みのりさんのハガキが そしてあのミロコマチコさんからもお便りと高知県立美術館での展覧会の招待状が届いた 香川県が「まん防」発令中、高知県は9月から解除 展覧会は9月20日まで ここは掟破りだ 9月15日(水)早朝のJR特急で約2時間 御免駅で乗り換え、くろしお鉄道でのいち駅へ そこから坂を上がってのいち動物公園へ 汗だくで念願のハシビロコウのササにご対面 小一時間、ガンの飛ばし合い、呼びかけたり、頭を上下にふって合図したりの至福の時を過ごした 駅にもどると電車は出たばかり タクシーでとさでんの最寄り駅まで飛ばし、美術館前で下車 大きな看板を見落としてまた汗だくになりながらバックして、美術館に到着 心ワクワク、疲れも吹っ飛ぶ どれもこれも生命力あふれるいきものたち 肚(はら)の底から喜びのクワッ、クワッ、クワッの声が吹き出そうだ また至福の一時間 高知駅へ着くと特急は出たばかり 読書に励み約12時間で小旅行を終えた次第
 忘れるところでした 久しぶりにキネ旬「読者の映画評」を出したところ、9月上旬号に「カウラは忘れない」が載りました
 
  9月    チャドウイック・ボーズマンのベスト
黒人俳優チャドウイックを知ったのは死後である 「42~世界を変えた男」を借りてきた 黒人初のメジャー・リーガー、ジャキー・ロビンソンに扮していて、とても良かった 彼が受ける差別が有色人種の私にも響いて来て、その耐える姿に同化した 彼はその後ミュージシャンのジェームス・ブラウンにも、法律家のサーグッド・マーシャルにも扮して才能を開花させた 享年43 チャドウイックによって私は他の黒人俳優にも目を開き、つとめて見るようになった
  10月    神田日勝のセーター
神田日勝は、かんだにっしょうと読む 北海道へ戦時中、東京から一家で疎開、開拓民となった この名前に出自が総て表されていると思う 農民で画家だった その無理がたたって1970年に亡くなった 享年33 私の手許に週刊誌から剥ぎとったグラビアが残っている '70年代だろう 「黄昏の農場」という絵の裏に、煙草をくゆらせながら歓談する日勝のポートレートがある この少年のような手放しの笑顔が素晴らしいのだ それを後ろに、前は未完の遺作「馬」を編んだ まさに「絶筆」なのだ

エッセイ(2枚)を応募
 
 

       中村哲のニット
哲さんは一昨年、アフガンで凶弾に倒れた 惜しい国際人を我々は失った ペシャワール会に入っておられる友人が近くにいる 物心両面で哲さんたちの活動を支えている 会に入っていない私でも哲さんの訃報はこたえた 哲さんの本を数冊読んだ 医療を投げ打って、井戸に、かんがい用水に打ち込んで、少しでもアフガンの人々の飢餓を救いたいとの思い―いまだにアフガンの飢餓が去っていない せめてもの供養に哲さんを残したいと思った ニットではあるが、アフガンの男性の着ている上着を模した 前は哲さんの好きだった「一隅を照らす」を 併せて英訳も 後ろは当地のことば「カカ・ムラド(中村のおじさん)」と肖像を 哲さんの叔父は火野葦平で、「花と龍」は祖父母がモデルだと、今回知った 熱い血は受け継がれているのである
 
  11月    木下晋「合掌」とわが母のベスト
木下晋さんは鉛筆画をモノした大家である 若き日油彩画を持ってニューヨークへ渡り、全く相手にされなかった時、荒川修作から、それまでの生い立ちを耳にした上で、「君は母親を描きなさい」の言葉を受けた それからは自分独自の手法・鉛筆を見い出し、突き進んできた その絵たるや身震いがするほど 描く対象もゴゼさん、ハンセン病元患者、母、妻 どの絵にも、生と死が同一線上に並んでいる 今回使わせていただいたのは絵本「はじめての旅」('13年)の裏表紙を 後ろはわが母を編んだ 木下さんに遠く及ばないのだが
  12月    三國連太郎のセーター
この人の場合、敬愛するというよりは畏敬ということばがふさわしい 名演、力演数ある中で私が選んだのは勅使河原宏監督の「利休」(1989) 派手な演技は秀吉役の山崎努に任せ、手足もがれた如き内面演技に徹した 内なる動揺を三本取りの糸を替え続けて表した 裏地の結び玉は相当なものである あまたある作品群で私が見落としているもので、田中正造を演じて泥を食べた「襤褸(らんる)の旗」吉村公三郎監督('74)、北一輝を演じた「戒厳令」吉田喜重監督('73)、そして原作・脚本・監督の「親鸞 白い道」は見たいのだが叶わぬ 笑い話を一つ ある会合で出会わした緒形拳が三國にきいた「どうして釣りバカに出続けるんですか」と 虚を衝かれた三國 それまで誰も正攻法で訊いた者はいなかった 拳さんエライ!


 
       辻内智貴のニット
つじうち・ともきと読む 「セイジ」で読んで、「青空のルーレット」「信さん」とたて続けに読んで私は泣いた 姪に勧めると彼女も泣いたという 映画になった三本を見ると全然別物になっていて唖然とした 8冊の本と1枚のCDアルバムを残して彼は東京を後にした '12年発行の「僕はただ青空の下で人生の話をしたいだけ」から現在まで、彼は沈黙したままだ また胸の奥をギューッと掴む話を聞かせてよ '06年の「帰郷」所収の「愚者一燈」の中にこんな―文がある “自分は要するに、この体内にある「何か」を絶えず表現しようとしてきた。ただそれだけの生きものなのだろうと思う” 私もそうですよ 2015年1月から始めたこのシリーズも128作目となった 生きて、愛した生きものの私の、遺書とも呼ぶべきものの連なりである
2022
 
     1月11日、14歳になったばかりのMIX、メスのテツが亡くなった その喪失は私に苦しみをもたらした 上記、’21年に書き直した書と共に掲示する テツの左から2枚目の写真を元に、「悠久一滴 おまいもわしも」を制作した その右はセーターである テツは他に肖像の小品を1作、編みぐるみを2体編んだので、あらためて作ることはない 苦しみを克服すべくその歳月を、募集していた童話に書いて応募した これが功を奏して楽になった  
       マリリン・モンローのニット
思い出せないくらい前の私の個展で、来場した紳士から「マリリン・モンローはやりませんか」ときかれ、「しません」と即答したのを思い出す ところが編んだ 「王子と踊子」(’57、ローレンス・オリヴィエ監督)に出合ってしまったのである この彼女が素晴らしい 国王予定が間近の王子に一夜呼ばれ、彼をキリキリ舞いさせるのである 王子の台詞に、「頭の回転が尋常でない米国娘、知能の遅れた小児を思わせるかと思うと―ボクサーの筋肉を持ち人生の機微を心得ておる」とあり、思わず唸った まさにみなし児として成長した少女が身につけた世渡りの方法だった 再見も含む14本を見たが、これを超える作品はない 彼女に関する本や写真集を見ながら、私はみなし児の少女を探していた 蛇足ながら彼女と私の誕生日は同じだ
 
   ポール・ニューマンのセーター
ポール・ニューマンが好きだった '70年代の作品が特に好きだった 昨年図書館で「ハスラー」を見つけた 観た 登場人物それぞれが抱えた闇の奥行きが見事だった 陽性の反抗心を表現して83歳まで生きた


 
 
   ハリー・ディーン・スタントンのセーター
曲者傍役俳優として人生を全うしたスタントンだが、主役を張った映画が2本ある「パリ、テキサス」と最期の「ラッキー」 人生の最後を独り迎える恐怖と箴言(しんげん)に満ちた佳作だった 食堂で偶然出会った男(トム・スケリットだ!)と海兵隊員だった頃の話をする 沖縄で、今まさに身を投げる少女が見せた微笑の美しさを語るシーンは心に残る スタントンはいい映画を遺して逝ったなあ
 
       「木を植えた男」のベスト
コロナ禍において、この絵本の重要性を痛感して編んだ
実際に木を植えた男エルゼアール・ブフィエ(1858-1947) それを1953年に作ったジャン・ジオノ(1895-1970) 絵を描いたフレデリック・バック(1924-2013) みんな頭の下がる人びとである
 
 
最近の私には珍しいことだが、劇場へ3度足を運んだ どれもドキュメンタリーだ 田中泯を追った「名付けようのない踊り」 ビョルン・アンドレセンの人生を追った「世界で一番美しい少年」 豚と鶏と牛の生態を、ナレーションも音楽もないただ見るだけの「GUNDA」の3本 どれも感想をキネ旬「読者の映画評」に送った 残念乍ら3作とも第1次通過どまりだった
 
       椎名・ジョン・誠のニット
テツが亡くなって犬の写真集を探していたら椎名さんの「犬から聞いた話をしよう」にぶつかった この中に椎名少年が10歳の頃飼っていたジョンの話が載っている 気立てのいい賢い犬だったジョンとの哀しい別れと、その後時空を超えて南の島でめぐり逢ったジョンの話にはもらい泣き そこで前はジョン、後ろは「こんな写真を撮ってきた」で孫の風太君が写した椎名さんの肖像を配した いっ時、トレーナーを肩から袖を切ったのが流行したが、活動的な椎名さんをイメージして、こういう形をとった
 
 
   カレル・チャペック「ダーシャ」の半袖ニット
本棚から「ダーシャ」を取り出して、しみじみと読み返す こんなにも犬への愛情があふれている チャペックは1890年~1938年の人だから、この本の刊行は1933年でかなり前のものだが少しも古びていない こうやって犬を眺め、読み、編むことでテツを喪った哀しみは癒えていくのかもしれない 道すがら散歩中の犬を見かけると、ついつい犬を見つづける私である
 

 
   モスラヴィナのスポメニックのショール
昨年、横須賀のKさんから送ってもらった映画のチラシの中に、「最後にして最初の人類」があった そこにモノクロのモニュメントが写っている まん中に眼のようなものがあって、両側に翼がある これが実に怖い ブラック・ホールなのだ 原作の「最後にして最初の人類」(1930年作・オラフ・ステープルドン)を借りて来て読んだが、まるで歯が立たない 返却日までに百頁、音を上げてしまった 映画の監督は作曲家のヨハン・ヨハンソン 映画の完成前に亡くなって、友人たちが仕上げたという
 このモニュメントの名前を知ったのは全くの偶然から 図書館の写真集のコーナーに、ふと目に止まったのが「旧共産遺産」('19・星野藍) あった! 夕闇に浮かぶ革命記念碑 私は恐怖を克服すべくショールを編んだ これを契機に、旧ユーゴスラビアの内紛を扱った映画や本に接するようになった





 


   今年もニット制作はお休み 暑い中、コロナ禍のもと、家の中の一番涼しいところで裸に近いかっこうでひたすら読書 夏目漱石に関する本をまとめて読み、漱石により関心が深まり、「彼岸過迄」から読み始める それから泉大津市のエッセイに応募した際、審査員の一人に吉村萬壱がおり、その著書を一つひとつ読んでいる 毒日常文学の生真面目さは、苦笑しながらも快さを伴っている 他にもエッセイに応募した  
 
   森山大道「三沢の犬」サマーニット
ドキュメンタリー「≒森山大道」(2001)のチラシにある犬の迫力に釘付けになった 以来森山大道の写真をつとめて見るようになった 現実をガッとひと掴みして提示するさまに、うろたえることもあった その後、「三沢の犬」使用許すの直筆絵はがきが届いた 嬉しいのなんのって


  10
   姪の遺した糸によるフェアアイル・ベスト
6月28日に姉の二女が他界した 享年52 沢山の生成(きなり)糸と、グレー、白の毛糸が託された それを使ってフェアアイル・ベストにして、姉に贈った これ以後生成のセーターやベストが増えるのはその為である
 
   「サッコとヴァンゼッティ」のセーター
去年あたりから、イタリア映画の過去から現在につながる一本の線を、体の中に持ちたいと切に思うようになった 名作の再見だけでなく、未見だったもの、数がいたって少ない現代の作品でもって、いつからかイタリア映画界を見失ってしまったものを埋めたいのである サッコとヴァンゼッティの冤罪を扱った樹村みのりのまんがを読み、レンタル店で「死刑台のメロディ」(1971・ジュリアーノ・モンタルド監督)を発見、佳作であった 密入国でアナーキストというだけで殺人罪を被せ、処刑したアメリカ史上の汚点 画家ベン・シャーンの絵を後ろに引用した 袖の赤と緑に格子を入れ、見頃の白とでイタリア国旗を表した
  11
  ニコ・ピロスマニのセーター
とうとう映画「ピロスマニ」見られぬまま、岩波ホールが閉じてしまった グルジア(現ジョージア)の映画で、ニコ・ピロスマニは絵を描いて生き、さすらい、死んだ 孤独な想い、生来のプライドの高さと夢想癖から放浪の人生を送ったという 8月に閉店してしまった近くのレンタル店の戦争映画の並んだ棚に、奇跡が 「とうもろこしの島」('14・ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督)があった! 良かった しかし「みかんの丘」はなかった 「ピロスマニ」と出合えるのはいつ?
      ヤン・イクチュンのセーター
ヤン・イクチュンとは一度だけ会ったことがある 15年のさぬき映画祭にショート・フィルムを出品したのでやって来たのだった 無論「息もできない」のチンピラでも、「かぞくのくに」の北の監視員でもなく、ごく普通のあんちゃんだった 「サイン・チュセヨ」と2作品のチラシを出すと、快く書いてくれた 前身頃はそのサインである その後「あゝ、荒野」「詩人の恋」と見た どれも似ていない役柄を演じて素晴らしかった 期待の人である
  12
  ジャック・レモンのベスト
J.レモンはビリー・ワイルダー監督による作品で有名だが、私はシリアスな「チャイナ・シンドローム」と「ミッシング」を推す ご存知のように「チャイナ・シンドローム」はスリーマイル島の原発事故を予見した映画と言われた レモンは原発の設計技師に扮し、原発事故を停めようとして狂人扱いされ殺された 「ミッシング」は南米の某国で行方不明になったジャーナリストの息子を、その嫁と共に捜す父を演じた 捜索を続ける過程で、次第に政治的になっていくアメリカの小市民を巧みに演じていた 前はその2作を、後ろは「チャイナ・シンドローム」のジレンマの表情を入れた
 
      コスタ・ガブラス「Z」のベスト
「ミッシング」を再見してコスタ・ガブラスの娯楽政治映画の巧さ、志に感心した 長い間探していて見ることができた「ミュージック・ボックス」もナチス問題を扱い、見事な苦い幕切れだった 高校生の頃見た「奇襲戦隊」の宙ぶらりんのラスト、そしてイヴ・モンタンの粋な政治家が暗殺される「Z」 これもニュースを読み上げるジャン・ルイ・トランティニャンに字幕で死刑が下される 後ろは「Z」のモンタンとイレーネ・パパスである
 2023
  ジャン・ルイ・トランティニャンのセーター
トランティニャンは昨年亡くなった 息の長い人生で、マルチェロ・マストロヤンニと並ぶくらいいろんな監督が使いたがった 晩年は引退を表明しても、ミヒャエル・ハネケもクロード・ルルーシュも引き下がらなかった 遺作の「男と女人生最良の日々」では「男と女」のシーンが多用されているが、今回気づいたのは、この人が画面で笑うと、パッと明るくなるのだ 古本屋にあった「狼は天使の匂い」を購入して見ることができた あとは「天使が隣で眠る夜」と「愛する者よ、列車に乗れ」が見たい


 
      おおたか静流のニット
昨年9月、おおたか静流(しずる)は69歳で逝った 手持ちのCD3枚を次つぎと聴いた そのうちの1枚「Love tune」を繰り返し聴くようになった まるで彼岸から彼女の歌が現世に届いているような気にさせてくれるのだった 前へ「彼岸より天女の静流歌聲届く」と入れ、袖には「ひがらがさ/Across The River」の「カワイーヤーノ」を変体仮名2種で、「可王以耶乃」と「香和意夜能」を入れた


  
  渡邊白泉のチョッキ
白泉は京大生の頃「戦争が廊下に立ってゐた」を詠んで、、特高警察に引っ張られた 戦後は俳壇を離れ、沼津の高校教員として過ごした 今、心ある人びとは「新しい戦前」を憂えている このチョッキを制作するに際し、資料が少なく、肖像は新聞記事を元にした だからこの人の全容はよく知らない 高松市図書館は朝日文庫の現代俳句の世界シリーズ16の「富沢赤黄男 高屋窓秋 渡辺白泉集」すらないのである 何たる貧しき市よ
 
  ショーン・タンのセーター
現代の絵本作家・画家で、ショーン・タンほどの画力を持つ人は他にいないだろう 出会いは図書館の新着本のコーナーにあった「いぬ」だった 人と犬との関わりを淡たんと絵だけで表現していた 他の作品を当たったら、あるわ、あるわ、たちまち私はこの人の表現に夢中になった 緻密なのに壮大で、不気味なのに愛らしく、孤独なのに和気あいあいとして ディストピアなのに何故か明るい 今回は「エリック」を前に、肖像を後ろに、袖にエリックがホームステイした「みずや」に残していった鉢植の植物を配した


      J.D.サリンジャー/ニコラス・ホルト のセーター
青い瞳の美しいニコラス・ホルトがサリンジャーに扮した「ライ麦畑の反逆児・ひとりぼっちのサリンジャー」を見て、若き日サリンジャーを読みふけった日々が甦ってきた 図書館で648頁もある大冊「サリンジャー生涯91年の真実」を読了 人生の半分で姿を消し、それでも毎日文章を書いたサリンジャー 屋敷の金庫にそれらを詰めたという その狷介ぶりよ!今更本箱から取り出した本を再読するいとまは私に残っていない Sigh(ためいき)


 
  イゴール・レヴィットのセーター
2018年3月に行われた高松国際ピアノコンクールの第1次予選へ行くまでは、不遜にも、クラシックはグレングールド、JAZZはビル・エヴァンスがいれば事足れり、と思い続けていた 予選に行き、ピアノ独奏のとりこになった ピアノ1台で全てが表現されていたのだった コロナ禍で1年延びた今年、5回目のコンクールが開かれた 第1次予選を2日通った 私の「推し」の人は賞を得なかったが、私は聴けたことだけで幸せだった 図書館のピアノ独奏のCDはほぼ聴き尽くした その中にイゴール・レヴィットの2枚組「Life」があった 若くして友を失った悲痛の詩が入っている そして何より私を喜ばせたのは、ラストにビル・エヴァンスの「Peace Piece」が入っていたことである 今年36歳 他にもアルバムは出ているのだが、図書館は購入してくれない


      「トーク・トゥ・ハー」のニット
ミニ・シアター華やかなりし頃、ペドロ・アルモドバルの映画は続々と公開されていた 私はそのエキセントリックなタイトル、内容に恐れをなして敬遠していた だから、「オール・アバウト・マイ・マザー」「ボルベール帰郷」「バッド・エデュケーション」など全て後追いである アルモドバルで1本選ぶなら断然「トーク・トゥ・ハー」である 現実にファンタジーをふりかけて奇妙な味わいを与えてくれるマジクに酔う 酔わせてくれる色彩の妙 グザヴィエ・ドラン、ジャック・ドゥミ、そしてアルモドバル映画の色の愉しさ まさに眼福
 
  能町みね子のセーター
私が能町さんを知ったのは、NHKラジオ第1で午前中に流れていた「すっぴん!」という番組 藤井彩子アナの司会で各曜日のパーソナリティの一人が能町さんだった 日本の地方都市や純喫茶、相撲への偏愛がたのしかった 新古本店で見つけるたびに手にした本は11冊 なかでも「モテない系」女子の自虐とプライドのはざまで苦悶する様には共感の大笑い 私の本質はモテない系女子だったのだ! 2008年モテない系版すきな男ランキングの1位が加瀬亮だった!私はこのシリーズの24作目('16年1月)に編んでいる セーターの前後に「呻け!モテない系」の能町さんのイラストを、袖に「くすぶれ!モテない系」のカバーのドクダミを配した 能町さんはこのセーター、赦してくれるかしらん



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